約840年前、木曽義仲は倶利伽羅で平家の総大将平維盛と対戦した際 牛の角にたいまつをつけて平家の10万の軍勢に放ち勝利をおさめました。 現在は、富山県指定の公園として整備され、春には約6,000本の八重桜が 咲き誇り、秋には紅葉も楽しめます。 日本三大不動のひとつ倶利迦羅不動寺への参詣も多く、歴史探訪や 行楽シーズンのおでかけにおすすめのスポットです。
源義仲が戦勝を祈願したことで有名。祈願文が今も残っている。 約1,300年の歴史を有し、国指定重要文化財となっている。 また、馬上の人物像としては日本最大級の源義仲騎馬像が建立されている。
小矢部市桜町から津幡町竹橋まで伸びる旧北陸道をゆくハイキングコース。 倶利伽羅越いにしえの街道では、誰もが旅人。 その昔、参勤交代に使われた道や源平合戦の跡地を ゆっくりハイキング気分で散策してみませんか。
今から約1300年前、インドの高僧全無畏三蔵法師によって開かれた全国でも珍しいお姿の 倶利迦羅不動明王をご本尊とする古刹寺院で日本三大不動の一つに数えられています。 源平倶利伽羅峠の合戦場になったことから、歴史と文化を感じながら古くからの信仰に 豊かな自然の中で触れていくことができます。 富山・石川の県境に位置し倶利伽羅山から望む立山連峰と砺波平野の景観がとても 素晴らしくおすすめです。 北陸不動霊場 第二十四番札所 北陸白寿三十三観音霊場 第十八番札所 北陸三十三ヶ所観音霊場 特別番外札所
芭蕉が「奥の細道」の旅すがら、 源平合戦を偲んで詠んだ句が記されています。
平安時代末期の寿永2年(1183年)の源氏と平家が興亡の明暗を分けた砺波山合戦(倶利伽羅合戦)の舞台となったところで、木曾義仲の火牛の計」の作戦が「源平盛衰記」に記されています。 砺波山合戦において犠牲となった源平両軍の兵士を弔うべく、多数の有志により昭和49年に建立され開眼法要が行われ、昭和58年の源平合戦800年祭には、高野山管長を迎え大遠忌怨親平等慰霊法要が行われた。毎年源平倶利伽羅合戦の日の5月12日に追悼法要が行われている。
巴御前・葵御前は、義仲とともに戦った女武将で葵は砺波山合戦で討死し当地に葬られた。巴は、色白で美麗かつ騎馬乗り、弓矢打ちの達人で一人当千の武将でもあったといわれ、砺波山合戦では源軍7陣の1陣を任ぜられている。91歳で死ぬまで尼僧として主・親・子の菩提を弔ったという。臨終の際「私が死んだら砺波山にある葵塚と並べて墓をつくってください」と頼んで息を引き取ったといわれている。
縄文時代から様々な役割を果たしてきた 倶利伽羅峠について見て、触れて、学ぶことができます。 散策の前に、ぜひお立ち寄りください。
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2023/9/29
2023/9/17
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