津幡いいとこ・やまほどあっろの会主催の
「倶利伽羅峠三十三観音めぐり」が開催され、
小矢部市や津幡町の観光ガイドなどの約70人か参加しました。
午前中は、津幡町を巡り、小矢部市を巡るコースは、
境内が富山県と石川県の県境となる倶利伽羅不動寺にて
第18番聖観音、第20番馬頭観音、第30番不二観音、第32番合掌観音を拝見したあと、
住職のお話を伺い本堂にお参り。(不動寺境内にて昼食。倶利伽羅そばをいただきました。)
源平ラインを通り、小矢部市埴生地内 矢立道脇 第25番徳王観音、小矢部市石坂地内
旧上野別館横 第29番施薬観音、小矢部市北一地内 路傍観音堂 第17番持蓮観音
小矢部市埴生地内 太田家 第13番葉衣観音、小矢部市埴生地内 医王院 第10番持経観音
第11番白衣観音、第16番聖観音、第21番楊柳観音、第22番魚籃観音、第23番聖観音
第24番聖観音、第27番合掌観音、第28番合掌観音、第31番聖観音、第33番十一面観音を
拝見しました。
今回、第5番、第14番、第15番の三カ所は、道路状況により巡ることができませんでした。
また、一部個人で巡るには困難と思われる場所もありますのでお出かけの際はご注意ください。
初めて企画された「倶利伽羅三十三観音」めぐりでしたが、参加者のみなさんからは、
また、このようなコースを巡る研修会やツアーを計画してほしいとのご意見も伺いました。
写真クラブのみなさんも参加されており、観音像はもちろん各ポイントで紅葉や草花など
自然風景の撮影も楽しんでいらっしゃいました。
小矢部市・津幡町では、観光交流による地域の活性化とイメージアップの推進に
「おやべ・つばた観光交流戦略会議」を開催。
両市町の観光の魅力を発信するための活動も行っています。
津幡いいとこ・やまほどあっろの会では、次回は八重桜が咲き誇る季節に開催を
予定されいますので、興味のある方は、ぜひご参加ください。
*三十三観音とは、
観音経(法華経の一部)」では観世音菩薩が33種の変化身により、
衆生の悩みに応じて済度(救済)すると説かれている。
観音信仰が普及するにつれてこの数字に意味を持たせて
各地に「三十三観音札所」「三十三観音霊場」などがつくられるようになった。
*倶利伽羅三十三観音とは、
かつて竹橋(津幡)から石坂(小矢部)に至る沿道(約3里=12㎞)に
置かれた観音像33体のこと。
江戸時代末期、観音信仰が高まる中、倶利伽羅峠の道標として併せて
行倒れた旅人の供養と安全を願って、地元有志の寄進により建立されたと
考えられている。
明治初年の神仏分離令(廃仏毀釈)により、仏像である観音像は
それぞれゆかりのある麓の寺社や墓地などに移され、旧北陸道の
倶利伽羅峠から姿を消した。
津幡町・小矢部市の有志の努力によって、昭和63年8月に33体の
所在地・像の形態、刻銘のすべてが判明した。
*建立と目的
現存する33体に、近世末期の奉賀に応じた加賀・越中の在郷町民名が
刻まれていることから嘉寿年間(1848-54)に設立されたものと推定される。
建立の発願者は不明。
建立の目的は明確ではないが、以下のように推定される。
①北陸道、特に長楽寺への道案内(道標)として
②峠で行倒れた旅人の供養と旅の安全祈願のため
③観音信仰が高まり、任期の「西国三十三観音」にあやかった。
*廃仏毀釈による三十三観音の移設
明治元年(1868)の「神仏分離令」により神道が保護され、仏教が排斥される(廃仏毀釈)
明治4年長楽寺が廃寺となり〝手向けの神〟が復活。
明治7年、郷社手向け神社ができ、そのあおりを受け、三十三観音のすべてが峠の麓の寺社や
墓地などに集まった。